おぎにゃん
浅香さんが今制作している『NANA』には原作があるにゃ。原作付きとオリジナル作品とでは絵コンテを切るときに注意することも違うにゃ?
浅香
基本的にはシナリオから絵コンテを起こす作業上、大きな違いはないかな。でも原作のある場合は、読者はこの場面をどう思って読んでいるのか、自分はどう思ったかということを考えてみる。演出さんと僕とでイメージしている間(マ)の取り方に違いがあったりもするから、そこら辺も含めてシナリオをベースにして原作を読みつつ絵コンテ描いたりね。
おぎにゃん
じゃ、絵コンテを描くときにシナリオを飛び越えて原作にいく場合もあるにゃ?
浅香
んー。基本はシナリオを読んで絵コンテを描いていくんだけどね。僕は、シナリオに違和感を持った瞬間だけ「脚本だとこうなっているけど、原作だとどうだろう?」と原作を見直してみる。これは人によって違うだろうし、作品の性質にもよると思うよ。逆に原作を一切見ない時もあるし。あと単純に、原作は絵の参考になるよね。オリジナルだと自分で考えなくちゃいけないことが多いけど。
おぎにゃん
オリジナルは考えることが多い分、絵コンテを描いた人がやりたいことをやれる側面もあるのかにゃ? 『ギャラクシーエンジェル』(注4)なんか炸裂してたっていうか。あれは作品の性質だからかもしれにゃいけど。
浅香
ある意味、原作がある場合より手足の伸ばせる感覚はあったかもね。自由に出来るというか。『ギャラクシーエンジェル』を監督していたときに絵コンテマンには「絵コンテ切った人がこの世界の神様! 俯瞰で世界を見下ろして、キャラクターがどう動けばおもしろいか考えて好きにやっていいから」って言ってたよ。
おぎにゃん
結果、あんなにぶっ飛んだのにゃ…(深く納得)。
浅香
どこに行くかわからないところはあったけどね(笑)。
おぎにゃん
ノリノリにゃ。
浅香
みんな「いかにおもしろくするか」が考えの基本にあってね。というかそれしかなかったり(笑)。ライターさんがシナリオでとんでもないことをしてくるんだよ。たまにどうやったら絵になるのか分からない部分があったりして(笑)。それはもう挑戦状だと思って、「そうくるか! だったら絵コンテではこうしてやろう」みたいな雰囲気だったよ。そういう部分ではおもしろかったなぁ。あとは、ちょろっと自分の意見を入れられたね。
おぎにゃん
それも作品の色によって出来たり出来なかったり?
浅香
うん。絵コンテマンが神様だから好きにしていいよ、というのは『ギャラクシーエンジェル』だからこそ成り立つわけで、他の作品でそんなことをしたら単なるエゴでしかなかったりする。
おぎにゃん
『GUNSLINGER GIRL(ガンスリンガーガール)』(注5)では絶対にやれない、みたいにゃ?
浅香
あの作品では変に意図を働かせてしまうと、倫理的に問題が出てくる可能性もあったからね。『GUNSLINGER GIRL』はそういう部分でかなりデリケートな作品だったと思うよ。
おぎにゃん
倫理的に際どい部分もある作品ではこういうとこに注意して絵作りしてた、というのがあれば教えて欲しいにゃ。
浅香
『GUNSLINGER GIRL』で言えば人の生き死にという部分にはかなり気を配ってたね。TV放映って不特定多数の方が見るでしょう。だから、なるべく残虐シーンはやらないとか、血は抑えるとか。あと、あの作品は主人公の女の子と担当官の関係性がすごく際どいんだよ。恋愛感情を利用して殺人の道具に使っている設定が、嫌な感じに捉えられるところがあって。恋愛感情を表現するときの方法が媚びたものになるとすごく気持ち悪くなっちゃうから、その辺はカメラ目線をなるべく使わないようにしたりと気をつけていたね。
おぎにゃん
なんでカメラ目線はだめにゃ?
浅香
女の子が担当教官を見つめる表情にカメラ目線を使うとアピール度が強くなっちゃうんだよ。そういう媚びたところでは表現したくなくて。
おぎにゃん
やらしさを極力排除してたんだにゃ。
浅香
そういうことをしていかないと、単に女の子と銃が売りだけの作品になってしまう。
おぎにゃん
TVシリーズの作品が劇場版になった場合は、絵コンテ描くのに戸惑ったにゃ?
浅香
『カードキャプターさくら』の時は、映画になったからといって急に違和感持ったりはしなかったよ。『カードキャプターさくら』は劇場版をやった時点ですでに30話くらい消化されていたので、キャラクターがある程度出来上がっていたんだよね。TVシリーズを続けていると、よくキャラクターが勝手に動き出す感じがあって、そういうときはシチュエーションさえ決めればこの登場人物ならこう動くだろうというのが自然と出来上がってくるんだ。『カードキャプターさくら』は、そのノリが結構強かったからね。
おぎにゃん
『カードキャプターさくら』の劇場2作目(注6)では、絵コンテ欄に複数の方の名前が載っていたにゃが…?
浅香
あれは大変だったねぇ…(遠くを見る目)。ようは時間がなかったんだよ。TVシリーズの最終話近くを作りながら、同時進行で劇場版も進めなくてはいけなくてね。しかも最終話の絵コンテを自分でやっているのに、「劇場のコンテもやりたいです」って宣言して(笑)。結局時間が厳しくなって途中で何人かに引き継いでもらったんだ。作品には「切り替え箇所」という、そこで区切りを付けられる箇所が何個かあって、劇場1本ならだいたい5、6パートに分けられるんだ。そのパート分けした部分をそれぞれの絵コンテマンさんに、という風に割り振って制作したんだよね。
おぎにゃん
それは割とイレギュラーな場合にゃの?
浅香
やっぱり絵コンテは1人で作るのがベストだと思うよ。
おぎにゃん
TV版のアニメで、2人の絵コンテマンの名前が出てくる場合はAパートBパート(注7)で分けているにゃ?
浅香
そういう場合か、もしくは大人の事情で(笑)。描いてもらった絵コンテが作品世界のイメージと違うときに「ちょっと違うのでここだけ直します」と了解を得て監督や他の演出が直したりする。
おぎにゃん
それ公言しちゃって大丈夫にゃ?
浅香
マッドハウスに限らずあることだからね。
おぎにゃん
アニメ界全般の話にゃんだな!
浅香
スケジュールの問題もあるからね。いつも理想通りにいくとは限らないから、現場の状況と上手くバランスを取っていくことが大事なんだよ。
おぎにゃん
にゃ〜る! 浅香さん今日はありがとうございましたにゃん!
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