おぎにゃん
例えばミキサーが変わると、どんなふうに違いが現れるのにゃ?
はた
音響監督が音の演出をする人だとすれば、ミキサーは技術面を担当する人。だから人によってスキルの違いがやっぱりある。そこで「いい音で録音できるか」「音楽やセリフや効果音のバランスを上手く作っていけるか」、あるいは「現場をスムーズにこなしていけるか」「音響監督や監督のリクエストにどれだけ柔軟な対応をしていけるか」といったポイントをきちんとこなせているかどうかは、作品の出来に影響してくるし、ミキサーが変わると違ってくる。
おぎにゃん
技術屋さんなんだにゃ!
はた
ひとつひとつ技術を積み重ねていくことで、ミキサーとしてのスキルはあがるし、「いいエンジニア」としての評価がもらえるんだと思う。
おぎにゃん
音響監督の山田さんが「ペーパーが入ったときに大丈夫かどうかの判断は、ミキサーにまかせている」と言っていたにゃ。そこも、ミキサーの腕次第?
はた
ミキサーは技術屋さんだから、例えば「ペーパーが入ってしまった部分を聞き返さないでも、録り直す必要があるのか、編集で削除できるのかを判断する」といったようなことは、大切なことであり当たり前でもある。さっきも言ったようにアフレコ中のミキサーの仕事は役者さんの声をベストな状態で録音すること。でも、その自分の仕事をまっとうしようとして、役者さんの芝居を萎縮させてしまったら意味がない。そのあたりのバランスの取り方というか、さじ加減がとても重要になる。
おぎにゃん
にゃるほどにゃ。
はた
いい音で録音することだけ考えれば、ひとりひとり別録りにするのがベスト。ディズニーなんかはそうやっているよね。それぞれの役者さんにあったマイクを用意して、ぴったりの場所に設置して、ひとつのマイクでひとつの音源、というふうに録音していく。でも、これは技術サイドから見た意見で、それとは別にやっぱり役者さんがいい演技をしなければ話にならないでしょう。いい音で録ることは大前提にあるけど、「役者さんがいい演技できる」空間を作ることもミキサーの仕事のうち。
おぎにゃん
そのときにどういう空間作りを目指すかは、ミキサーによって違ってくるってこと?
はた
何を重要視するのか、役者さんが演技しやすい空間をどう考えているか、はミキサーや音響スタッフによってそれぞれ違うからね。
おぎにゃん
はたさんはどんなことを大切にしているのかにゃ?
はた
僕の場合は、役者さんが限られた条件のなかで一生懸命ベストな芝居をしているわけだから、それを最大限に汲み取って録音したいという気持ちが大きい。
おぎにゃん
さっき、はたさんは「技術サイドから見た意見」として録音の仕方を教えてくれたけど、はたさんが大切にしていることはそれとは別にゃの?
はた
「技術サイド」としての意見も持っているけれど、それよりも「役者さんの芝居しやすい環境を作る」ということを一番に考えているんだよ。セリフの掛け合いのなかで生まれてくるアドリブが作品をよくすることもあれば、役者さん同士の呼吸が合って良い芝居が生まれることもある。それは別録りをしちゃうと、生まれてこない。編集の都合や、バランスを取るために重なったセリフを別録りにすることはあるけど、僕はなるべく一緒に録音したい。もちろん、いいお芝居をもらえることを前提にね(笑)。録音上のリスクが高くて大変でも、そこで頑張れる技術屋かどうかが、根本的な力量の違いじゃないかと思う。
おぎにゃん
役者さんの生きた芝居で、いかに二次元のアニメーションを三次元的に感じさせるか、みたいにゃ?
はた
僕は、そこにポイントを置いている。
おぎにゃん
ライブ感重視なんだにゃ。
はた
アフレコの後に、「ダビング」という作業があるんだけど、僕はセリフに関してはアフレコとダビングの比率を50:50で考えている。
おぎにゃん
ダビングって何してるんにゃ?
はた
ダビングでは、演出の色んな意図を汲み取って、音楽の入れ方や効果音のタイミングやセリフの音量を考えながら編集していくの。例えば、セリフを抑えたところで、派手な音楽を鳴らす演出が必要だったら、音楽とセリフと効果音のバランスを上手く取っていかなければいけない。セリフを聞かせるために音楽の音量を下げたり、逆にセリフの音量を上げたりとかね。
おぎにゃん
そんなお仕事もしていたんだにゃ。
はた
アフレコのときに、役者さんがウィスパーな芝居をきっちりやっていれば、それは編集でいくら音を大きくしても抑えた芝居には変わりがないし、きっちり怒鳴った声を録音していれば、どんなに音を下げても怒鳴った芝居になる。それを「ダビングで調整すればいいから」と思ってフラットに録音してしまうと、後処理では表現できなかったりする。そこはアフレコのときに計算して録音しなければならない。
おぎにゃん
それでアフレコとダビングが50:50なんだにゃ。
はた
僕は、アフレコの臨場感やライブな雰囲気をなるべく生かしたいと思うからね。それもミキサーによって、アフレコ80、ダビング20っていうセリフの作り方をする人がいれば、アフレコ20、ダビング80という作りこみ方をする人もいる。そこは、人それぞれなんだ。
おぎにゃん
そこには経験則が必要だったりにゃ?
はた
あと、自分なりのカラーやポリシーもね。
おぎにゃん
じゃあアニメーションを見てて「これは、あのミキサーの色だな」ってわかるのにゃ?
はた
作品を見ればわかるよ。で、エンディングクレジットで確かめて「ああ、やっぱり」って。何度も言うけれどミキサーは技術屋さんなので、「自分の色を出さないほうがいい」って考えている人もいるけれど、僕は自分が関わった証として自分のカラーをいい形で出して作品に貢献していきたいと思う。だから、積極的に表現できるところは、表現していっている。
おぎにゃん
やっぱり、それは作品にもよるにゃ?
はた
それはそうだね。『DEATH NOTE』なら『DEATH NOTE』のためのスペシャルな仕掛けっていうのをいくつか用意してある。「こういう部分はなかなか真似できないだろうな」っていう自信のあるところも実はあるんだよ。
おぎにゃん
それはどんなところ??
はた
それは企業秘密(笑)。
おぎにゃん
えーー。
はた
そういうこだわった部分が、どのくらいエンドユーザーの人たちに理解してもらえるか、とか、監督に評価してもらえるか、というのを自分で楽しんでいる。「普通はそういう演出をする、ああいう処理をする」って部分を「実はこんなふうにしてます」ってこだわりを持って取り組むのは自分でも楽しい。作品によって手法を変えたりもするしね。
おぎにゃん
『DETH NOTE』の仕掛けを知りたいにゃ〜〜ん。
はた
うーん。じゃあ一つ種明かしすると、『DEATH NOTE』って月とLの会話劇がすごかったでしょう。セリフのほかにモノローグもたくさんあった。普通、モノローグって心の声だからセリフとは別々に収録するんだけど、『DEATH NOTE』では役者さんがいい意味で意地になって別録りをしなかった。「時間軸の流れに合わせて、自分はきっちりセリフとモノローグの芝居を変えてやるぞ」って気合がすごく入ってた。
おぎにゃん
素敵なことにゃん!!
はた
それで、僕はセリフとモノローグのコントラストにこだわった。番組が始まった頃はかなり試行錯誤したけれど、結果的にはとても満足のいく出来になった。自分の納得のいく表現を作れたんだね。
おぎにゃん
『DEATH NOTE』にいっぱい愛情を注いでもらって、うれしいにゃん! はたさん、ありがとうございましたにゃん!!
|