Interview
――増原さんは、様々な現場を渡ってきたと思いますが、もともとはどういった役職で入社されたのですか。
増原 『あずきちゃん』の制作進行でした。第3期で1年くらいやりましたね。その後は『Bビーダマン爆外伝』で、その後もずっと班としては同じでしたね。当時はプロデューサーの下に一度つくと、延々とその流れだったんですよ。今でこそ流動的ですが、入社したタイミングで大体決まっていたんです。
印象に残っているのは一年目の『あずきちゃん』のとき。ポカをやって「お前の代わりなんていくらでもいるんだよ!」って怒られたのですが……。二年目の『Bビーダマン』で、病み上がりで会社に来たとき「お前の代わりなんていないんだよ!」と言われたことですね(笑)。
――ある種、認められたんでしょうね。
増原 そうですね(笑)。
――じゃあ演出デビューが、助監デビューだったんですね。
増原 いや、元々助監だけをやるはずだったんです。でも、コンテも演出もやりたかったので、当時の設定制作だった平山(理志)くんと一緒に、半パートずつ描いて杉井さんに見てもらったんですよ。
――平山さんって、のちにサンライズで『ラブライブ!』などのプロデューサーを担当される……。
増原 そうそう。その平山くん。彼は当時「演出になりたいんです!」と言っていたけど、『陽だまりの樹』をやっているときに現場にもみくちゃにされて、「もう……これからの時代プロデューサーだよ!」って言ってサンライズに行ったんです。
で、当時のマッドハウスは、前例がないと演出をやらせてもらえなかったんですよ。社内で演出になる人間がいなかったんですね。
渡邉 そうなんだ。
増原 浅香さんが演出助手を経て演出になっているので、例外はあるのですが、大抵は「制作進行で入りました。演出やりたいです」「進行から演出になるのは前例がないから駄目!」となっていた。そこで他所の会社で演出を一本やるんですよね。そうするとなぜか演出家になれるっていう(笑)。
それを打開するために、とにかく監督に認めてもらおうと思って、半パートずつコンテを描いて……。けっきょく使われたのは3カットだけなんですけど(笑)。
――あ、そうなんですね。
増原 ただそれを描いたら、「じゃあ勝手にコンテを切ったこの話数の演出やってみるか?」 と言われて。それの処理をやらせてもらったんです。
――この後マッドハウスでは、制作進行から演出に行けるルートができていますよね。
渡邉 凄い。じゃあ先駆者だったんだ。
――当時は増原さんのように、チャレンジしていく人が残っていく感じだったのですか。
増原 そうですね。でも今も変わらず、やっぱりチャレンジは大事ですよね。