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Interview

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❶「いかがわしい会社」のイメージだった

――浅香さんはどういう経緯でマッドハウスに入社されたのですか。

浅香 専門学校にいた美術講師の方が、昔虫プロで丸山(正雄)さんと知り合いだったんですよ。で、俺が教員室に遊びに行ったら、「お前マッドハウスに行って、面接してもらってこい」と言われて。そうしたら、「じゃあ俺も行く」と乗っかってきた人たち含め、6~7人ぐらいの東京ツアーでマッドハウス見学になったんです。僕は当時作画志望だったんですけど、「作画は今はいらないから、演助(演出助手)をやってみて」と言われて。

――制作進行ではなかったんですか。

浅香 僕、免許を持ってなかったんですよ。その時に背景の上原(伸一)とその嫁さんのシゲちゃん(桐山成代)と、撮影の松村(康弘)と制作の松江(譲二)あたりも入ったんです。入社時期は……19から20歳になるときぐらいなので、86年かな。

――同じ専門学校から、そんなにマッドハウスに入ったんですね(笑)。演出助手で入社するのは、当時珍しかったのではないですか。

浅香 あまりいないですよね。助監督、演出助手の先輩が二人いたぐらいかな。当時、年にビデオを2、3本しか作らない会社だったので、そんなに多くはいらないポジションだったんですよ。

――そのころ、マッドハウスはどういった作品をやられていたのですか。

浅香 『火の鳥 ヤマト編』ですね。あとは『妖獣都市』のリテイクとか……。すごいですよ、僕が丸山さんと面接をしている部屋に、いきなり川尻(善昭)さんがスタッフの人達とやって来て、リテイクのラッシュチェックを始めるんです。そうすると、麻紀絵が妖獣にがっつり襲われているシーンが流れているわけですよ。

――ああ、アダルトな意味で非常に際どいシーンですよね。

浅香 川尻さんが「いや、3回腰振ると映倫に引っかかるんだよ」って言っているのを横で聞いていて唖然として。「これは……すげえ会社に来ちゃったなあ……」と。

――(笑)。当時のマッドハウスは、どんな感じの雰囲気だったんでしょう。

浅香 自分が入ったときは、南阿佐ヶ谷で、青梅街道沿い靴屋の上でした。

――カラフルな家具がたくさんあった時代ですか。

浅香 いや、まだないんですよ。そのボーリング場だったところに行ったのはもうしばらく後なんです。まだマッドハウスとアルゴスという企画だけの会社がある時代でした。

――噂に聞く、プロジェクトチーム・アルゴスですね(※注)。

浅香 そうですね。りんたろうさんと兼森(義則)さんが広いスタジオにいらっしゃいました。一方マッドハウスは凄くいかがわしい感じでね。

――浅香さんが最初に関わった作品はなんだったんですか。

浅香 さっきもちらっと話が出た『火の鳥 ヤマト編』の進行です。僕が入ったときはすでに作業中だったので、演出助手に福島(宏之)さんという方がいらっしゃって。そのさらに助手の立場でした。「ちょっと荷物を届けて」とか、「透過用のマスクを切っといて」とか、本当にもう雑用でしたね。
(※注)プロジェクトチーム・アルゴスは、当時『幻魔大戦』を作るため、マッドハウスとは別にりんたろうを中心に設立されたスタジオ。


浅香守生:監督/絵コンテ/演出
マッドハウスを代表する演出家の一人。代表作は『カードキャプターさくら』(1998~2000年)、『NANA』(2006~2007年)、『ちはやふる』(2011~2012年)、『ちはやふる2』(2013年)、『俺物語!!』(2015年)、『カードキャプターさくら クリアカード編』(2018)、『ちはやふる3』(2019年)。

画面の隅々まで気を配り、巧みな技術で丹念に、ときに大胆に心情を描く、「詩情」を感じさせる演出で数々の作品を手掛けてきた。なかでも『カードキャプターさくら』は女子小学生読者が多い『なかよし』掲載の少女漫画が原作であったにも関わらず、「オタク」と呼ばれる大人の視聴者層を確立させたとも言われる。アニメ史に残る作品であり、日本のみならず海外のファンも多い。

濱田 邦彦:キャラクターデザイン/総作画監督/作画監督
初めて携わったマッドハウス作品は『Cyber City Oedo 808』。代表作に総作画監督・キャラクターデザインとして『NANA』、『俺物語!!』、『カードキャプターさくら クリアカード編』、『ちはやふる1~3』がある。人間味溢れるやわらかな表情を描き、浅香守生監督とタッグを組む作品が多い。